西暦 | 年号 | 事 項 | 典 拠 |
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735 |
天平7 | この頃、行基が寺を開創し、観音寺と号したと伝える | 「東明寺過去帳」等 |
863 |
貞観5 | 弘法大師の弟子・真暁が再興し、真言宗にする | 「東明寺過去帳」等 |
一説に真暁の開山とも伝える | 「東明寺縁起」 | ||
1225 |
嘉禄元 | 東明寺源長が願主となり、聖縁が大般若経を書写する | 木津御霊神社「大般若経」奥書 |
1308 |
徳治3 | 不空羂索観音像造立。 他の4躯の観音像もこの頃造られる | 像内納入文書 |
14世紀初 | この頃、燈明寺型石燈籠・十三重石塔が造られる | ||
1385 |
至徳2 | 山城守護山名氏清と山城国人の合戦で燈明寺も被害を受ける | 「仏涅槃図」裏書 |
1456 |
康正2 | 賢昌房忍禅が再興し、天台宗に改める。 | 「東明寺縁起」 「東明寺過去帳」等 |
続いて本堂・三重塔を建立する | |||
1462 |
寛正3 | 忍禅が仏涅槃図を東明寺別院興法院へ施入する | 「仏涅槃図」裏書 |
1472 |
文明4 | 忍禅が三千仏図を興法院へ施入する | 「三千仏図」裏書 |
1660 |
万治3 | 燈明寺大破につき、兎並村より喜見院日便に寄進し、永代法華寺となし、観音堂(本堂)ほかの再興を計る | 「燈明寺旧記」写 |
1663 |
寛文3 | 本圀寺の僧日便が藤堂藩の助力を得て寺を法花宗に改め、観音堂(本堂)ほかを修理。東明寺を本光寺燈明寺に改める | 「東明寺縁起」「東明寺過去帳」 「兎本家文書」等 |
1672 |
寛文12 | 日逑、庫裏を建立 | 庫裏棟札 |
1688 |
貞享5 | 日進(軫)、梵鐘を鋳造する | 鐘銘 |
1695 |
元禄8 | 日誓、「東明寺過去帳」を記す | 「東明寺過去帳」 |
1696 |
元禄9 | 日誓、「東明寺縁起」を記す | 「東明寺縁起」 |
1727 |
享保12 | 本堂ほか大破。修復のため藤堂藩領内を勧進する | 「永保記事略」 |
1743 |
寛保3 | 日賢、三重塔を修理する | 「東明寺過去帳」 |
1751 |
寛延4 | 日賢、本堂を修造し、宝塔を再興する | 境内碑文 |
この頃 | 堂塔修理費捻出のため石燈籠を三井家に売却。 模作を境内に置く |
「三井家文書」「東明寺過去帳」 | |
1787 |
天明7 | 東明寺の境内絵図が描かれる | 「拾遺都名所図会」 |
1809 |
文化6 | 日昇、庫裏の瓦替え工事か | 庫裏修理棟札 |
1810 |
文化7 | 千手観音像等の開帳が行われる | 「縁起餝付烈并開扉中諸記」 |
1841頃 |
天保12 | 日昶、庫裏を修理する | 「東明寺過去帳」 |
1866 |
慶応2 | 日千が土蔵を建てる | 土蔵棟札 |
1901 |
明治34 | 川合芳次郎、燈明寺を買得する | 「相楽郡誌」 |
1914 |
大正3 | 三重塔を横浜市三渓園に移築する | |
1921 |
大正10 | 本堂並びに御霊神社本殿が特別保護建造物に指定される | |
1934 |
昭和9 | 住職欠員となり、以後無住 | |
1948 |
昭和23 | 暴風雨により本堂大破のため解体する | |
1950 |
昭和25 | 本堂、重要文化財に指定される | |
1982 |
昭和57 | 本堂部材等を三渓園に移す | |
1985 |
昭和60 | 本堂跡に収蔵庫を建設する。観音像5軀を修理する | |
1986 |
昭和61 | 京都府立山城郷土資料館で企画展「燈明寺の文化財」開催される | 「燈明寺の文化財」(企画展資料4) |
1989 |
平成元 | 財団法人川合芳次郎記念京都仏教美術保存財団設立 | |
2013 |
平成25 | 一般財団法人川合京都仏教美術財団へ移行 | |
2019 |
平成31 | 5軀の観音像、京都府指定文化財に指定される |